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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)8829号 判決

原告

亡野口幾之助訴訟承継人

野口創

右法定代理人親権者父

野口道彦

同母

野口良子

右訴訟代理人弁護士

松本健男

田中泰雄

大川一夫

永嶋里枝

被告

フジチュー株式会社

右代表者代表取締役

小西長博

被告

山田保彦

谷真吾

右被告三名訴訟代理人弁護士

笹川俊彦

須知雄造

井上進

右笹川俊彦訴訟復代理人弁護士

塚本美彌子

主文

一  被告らは、原告に対し、各自、金一〇〇七万一二五〇円及びこれに対する昭和五八年一二月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は第一及び第三項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自、金一七〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一二月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  訴外野口幾之助(以下「訴外幾之助」という。)は、大正二年一月一六日生まれで、後記商品取引をした昭和五八年五月当時満七〇歳であつた。京都府下の山間部の片田舎で農業に従事し、一人暮しをしていたもので、右取引の前は、商品取引や株式の売買などの経験がなかつた。

2  被告フジチュー株式会社(以下「被告会社」という。)は、農産物等の売買等を目的とする株式会社で、昭和五八年当時、大阪穀物取引所の商品取引員であり、被告山田保彦及び同谷真吾(以下「被告山田」「被告谷」という。)は、いずれも被告会社の従業員でいわゆる登録外務員であつた。

3  (商品取引)

(一) 昭和五八年春先以降、被告山田から、訴外幾之助方に、大豆の先物取引をするように誘う電話が頻繁にかかるようになつた。そのうち、被告山田は訴外幾之助方を訪問して取引の勧誘を繰り返すようになり、訴外幾之助が話を断つて車で外に出ると被告山田がその後を車で追尾したことがあり、その勧誘の態度は執拗であつた。被告山田及び同谷は、訴外幾之助に対し、金七〇〇万円を出資すれば同年五月末日までに金五〇〇万円の利益を取得でき、絶対に損をかけない旨を話していた。訴外幾之助は、最後には根負けし、その話を信用して、被告会社に商品取引を委託する決意をした。訴外幾之助は、被告山田から一通りの説明を受けたが、商品取引の仕組を理解できず、被告会社に売買を一任したのであつた。

(二) 訴外幾之助は、昭和五八年五月一二日、被告会社と、大阪穀物取引所の開設する商品市場における輸入大豆の売買の先物取引を委託する旨の契約を締結した(以下「本件委託契約」という。)同月一三日、訴外幾之助は被告会社に委託証拠金七〇〇万円を預託し、被告会社は五〇枚ずつ合計一〇〇枚の買建玉をした。同月一七日、被告会社は五〇枚の売建玉をし、同月一八日、訴外幾之助は被告会社に委託証拠金三五〇万円を預託した。同年六月七日、訴外幾之助は被告会社に委託証拠金三五〇万円を預託し、被告会社は五〇枚の売建玉をした。訴外幾之助の収めた委託証拠金は、右三回合計金一四〇〇万円であるが、被告会社は、別表(一)ないし(六)に記載のとおり、同年五月一三日から同年一〇月一九日まで、多数回にわたり、建玉及び手仕舞いを繰り返した。この間、同年九月二九日に、当時発生していた差損金九七五万円と預託中の委託証拠金一四〇〇万円を相殺し、残額金四二五万円につき新たに委託証拠金預り証が発行された。また、同年一〇月一九日、最後の建玉につき手仕舞いをしたところ、差損金三六三万七五〇〇円の差損金が発生し、これを右委託証拠金四二五万円と差し引き計算すると、金六一万二五〇〇円が訴外幾之助の手元に戻ることになる。

(三) 被告会社は、輸入大豆が値上りの傾向にあるとして、まず、買付を勧め、訴外幾之助は買建玉の委託証拠金として昭和五八年五月一三日に金七〇〇万円を預託したが、その後、値下げがあつても損をしないように売買のバランスをとるのが望ましいとして、売付を重ねることを勧め、訴外幾之助は売建玉の委託証拠金として同月一七日に金三五〇万円、同年六月七日に金三五〇万円を預託したのであつた。

(四) 訴外幾之助は、被告会社に対し、当初、昭和五八年五月末日に本件委託契約を終了し清算するように申し入れており、その後被告会社の要請を入れて終了時期を同年六月末日に延すことを承知したが、被告会社は同日を経過した後も多数回の取引を行つた。被告会社は、同月七日に最後の委託証拠金三五〇万円の預託を受けた後は、取引を行うについて訴外幾之助に何らの連絡もせず、訴外幾之助の利益を配慮することは一切なく、訴外幾之助に不利益な取引を不必要に繰り返した。その一方で、同月二一日の一〇〇枚の売付は、相場が底値であり、それ以後急上昇を続けたから、訴外幾之助に著しい損失を発生していたが、被告会社は、これを知りながら放置し、右売付に関し、合計金一八〇三万七五〇〇円の損失を発生させた。なお、被告会社は、訴外幾之助から、合計六一八万七五〇〇円という多額の委託手数料を取得している。

4  (法的主張)

(一) 訴外幾之助と被告会社間の本件委託契約は、外形上は、商品取引契約締結の体裁が整えられているが、この契約は成立していない。よつて、訴外幾之助は、被告会社に対し、預託金全額の返還請求権を取得した。

(二) 本件委託契約は、被告会社が訴外幾之助の無知に乗じ利益を生ずることが確実であるとして執拗に勧誘した結果締結されたもので、公序良俗に違反し、無効である。よつて、訴外幾之助は、被告会社に対し、預託金全額の返還請求権を取得した。

(三) 訴外幾之助は、被告会社の従業員である被告山田及び同谷が確実に利益を取得でき絶対に損をしない旨を説明したのを信じて本件委託契約を締結したところ、委託保証金の大半を失う損害を被つたものである。訴外幾之助は、多額の損害を受けることがあることを知つていれば、契約を締結しなかつたもので、本件委託契約は要素に錯誤があつて無効である。よつて、訴外幾之助は、被告会社に対し、預託金全額の返還請求権を取得した。

(四)(1) 被告山田及び同谷は、場合によつては多額の損害が発生することを知りながら、確実に利益が上がる旨の虚偽の事実を申し述べて、訴外幾之助にその旨を信じさせて、本件委託契約を締結させたものである。

(2) 訴外幾之助は、昭和五九年三月一三日の第二回口頭弁論期日において、同年二月二七日付準備書面を陳述して、右(1)の詐欺を理由に本件委託契約を取り消す旨の意思表示をした。

(五) 被告山田及び同谷の不当勧誘、訴外幾之助の指示がない売買の繰り返し、訴外幾之助が申し出た本件委託契約終了日経過後の売買の続行、不必要な売買を重ねたことによる不当に多額の委託手数料の取得、訴外幾之助の利益を度外視し相場の動向に逆らつた売買の実行など、本件委託契約を締結させ、これに基づいて先物取引を繰り返した、被告山田及び同谷の一連の行為は、不法行為を構成する。訴外幾之助は、被告会社に対し民法七一五条に基づき、被告山田及び同谷に対し民法七〇九条に基づき、後記損害の賠償請求権を取得した。

5  (損害)

(一) 訴外幾之助が被告会社に預託した委託証拠金合計金一四〇〇万円

(二) 慰藉料金二〇〇万円

(三) 弁護士費用金一〇〇万円

以上合計金一七〇〇万円

6  訴外幾之助は昭和六〇年七月一日死亡し、原告は、包括遺贈により、訴外幾之助が有する財産(不動産・有体動産・有価証券・預貯金及び債権)全部を取得した。

7  よつて、原告は、被告らに対し、各自、右5の損害合計金一七〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五八年一二月二七日から支払ずみまで民法所定年五分の割合に遅延損害金を支払うべきことを求める。

二  請求原因に対する認否等

1  請求原因1の事実は知らない。

2  同2の事実は認める。

3(一)  同3(一)の事実は否認する。被告会社の従業員が勧誘行為を行つたのは、昭和五八年五月一二日の午後四時ころから午後五時三〇分ころにかけてだけである。その勧誘行為をした被告山田は、利益を得るだけでなく損をする可能性もあることを説明している。

(二)  同3(二)の事実は認める。

(三)  同3(三)の事実は認める。

(四)  同3(四)の事実は否認する。被告山田は、訴外幾之助の商品取引を行うについて、売買の都度に原告の意向を確認したうえで取引を行つており、かつ必ず売買報告書を送付している。また、所定の手続はすべて履践している。

4(一)  同4(一)の主張は争う。

(二)  同4(二)ないし(四)の主張は争う。被告山田は、訴外幾之助に、商品取引の仕組み等を十分説明しており、当然、いわゆる相場をはることで、利益を得ることもあるが損をする可能性もあることを説明している。被告山田の勧誘に公序良俗違反はないし、訴外幾之助に錯誤はなく、また、被告山田の詐欺もない。

(三)  同4(五)の主張は争う。被告らの勧誘及び取引継続には、不法行為の成立要件を満たすような違法性はない。

5  同5の事実は否認する。

6  同6の事実は認める。

7  同7の主張は争う。

三  抗弁

1  仮に、被告らが本件委託契約に係る訴外幾之助の損失につき何らかの責任を負うべき理由があるとしても、訴外幾之助自身に次のような過失があり、これらは右損失を招く重大な原因をなしているのであるから、この点が十分に斟酌されるべきである。

(一) 被告幾之助は、商品取引について当初から理解できていなかつたというが、理解できないならば契約をすべきではなく、被告山田らの説明を聞いたうえで大金を預託し、その後も説明に応じて繰り返して追加金を入れている事実に照らすと、被告らが商品取引につき訴外幾之助の理解を得られたと考えるのは当然であり、この点について被告らに落度はない。逆に、意味もわからず、又は利益が生じる場合の説明だけを念頭において、大金を次々と預けたとすれば、まさにそのことが本件損失を生ずる契機となつたといえる。

(二) 被告会社は、売買成立の都度、報告書を訴外幾之助に送付したのであるから、訴外幾之助は、自己の投下した資金の動向を隈なく知り、これについて然るべき措置を講ずることができたにもかかわらず、開封せずに放置し、若しくは開封して利益が生じていないことを知りながら何の措置も執らなかつた。そのことが訴外幾之助の損失を拡大したといえる。

2  被告らは、昭和五八年一〇月一九日、訴外幾之助に対し、和解金五〇〇万円を支払う旨を申し入れ、同月二一日、訴外幾之助はこれを承諾した。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の主張は争う。

2  抗弁2の事実は否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者

請求原因1の事実は、〈証拠〉によりこれを認定することができ、請求原因2の事実は、当事者間に争いがない。

二商品取引

請求原因3(二)及び(三)の事実は、当事者間に争いがない。前記一及び右の当事者間に争いのない事実、前記一の認定事実、〈証拠〉によれば、次の事実を認定することができる。

1  訴外幾之助は、大正二年一月一六日生まれで、本件委託契約を締結した昭和五八年五月当時満七〇歳であつた。京都府船井郡和知町で生まれ育ち、小学校を卒業後大阪にある化学繊維の製造会社に就職し、応召して太平洋戦争を体験し、終戦後和知町に戻つて昭和六〇年七月一日に死亡するまでそこで農業に従事していた。昭和四五年ころから昭和五一年ころまで和知町にある自動車のシートを作る会社に勤め、シートバネ等の組み立ての仕事をしていたことがあつた。昭和五五年九月二日妻が死亡し、しばらく一人暮しをした後、昭和五八年六月一六日に再婚したが、昭和五九年三月一四日協議離婚をした。一人息子は昭和五四年八月七日に死亡している。和知町は、京都府下の山間部にある町である。

2  被告会社は、農産物等の売買等を目的とする株式会社である。被告山田は、昭和四四年に被告会社に就職し、その年に外務員登録をし、昭和五八年五月当時被告会社の営業係長代理であつた。被告谷は、昭和四七年に被告会社に就職し、翌年外務員登録をし、昭和五八年五月当時被告会社の営業二課の課長で被告山田の上司であつた。

3  被告山田は、訴外幾之助宅の近所の人から同人がかなりの資金を有しているとの情報を得て、昭和五八年五月一二日、電話で訪問の予約をしたうえで、部下と二人で訴外幾之助宅を訪ねた。被告山田は、従前、訴外幾之助と面識がなかつたが、同人に対し、輸入大豆の先物取引をするように熱心に勧めた。産地のアメリカでひでりがあり、大豆が品薄になるので、年末にかけて値上りが見込まれるから、これを買い付ければ利益が上がるというのが勧める理由であつた。その際、被告山田は、先物取引のしくみ、損害計算の方法、追証拠金など商品取引の一通りを説明し、その場で紙に略図を書くなどして幾之助の理解を得るように努めた。損益計算の例として、金七〇〇万円の投資をすれば、一か月くらいの間に金五〇〇万円の利益が上がる話をした。商品取引は投機であつて利益を得るばかりでなく、損失を生ずる場合もあることも話している。ところで、訴外幾之助は、そのときまで、商品取引の経験がなく、このような投機的な利殖について全く知識を持ち合わせていなかつた。損失を生ずることもあるというので大金を投ずることに不安を感じたけれども、被告山田の説明を聞く限りでは、そのときに大豆を買えば、同被告が例に出したほどの利益は上がらなくても、出資金の大半を失うような大きな被害は受けないように考えられた。自ら相場を読んで、売り買いの機を図り、積極的に利益を取得しようとする意欲はなく、また被告山田の説明だけでそうするための知識を得られたものでもなかつたが、被告会社に出資金を預け、被告会社の説明を受けながらその勧めに従つて取引を続ければ、悪い結果にはならないと思われた。そこで、訴外幾之助は、被告山田の勧誘に応じて、被告会社と本件委託契約を締結する決意をしたのであつた。被告山田は、契約当時、訴外幾之助の経歴や暮しぶりについてほとんど何もしらなかつたが、同人が商品取引について全くの素人であること、損を覚悟で積極的に利益を得ようとする意欲と知識のないこと、及び被告会社の指導に従えば悪い結果にならないと考えて契約締結の決意をしたことを、同人への説明をするうちに了解していた。訴外幾之助は、同日、その場で承諾書(乙第二号証)、通知書(乙第三号証)及び願い書(乙第四号証)を作成して、被告山田に交付し、同被告から、受託契約準則及び商品取引委託のしおりを受領した。訴外幾之助は、右準則及びしおりの受領後も、これらに目を通していない。

4  訴外幾之助は、昭和五八年五月一三日、被告会社に委託証拠金七〇〇万円を預託した。被告山田及び同谷が訴外幾之助方に赴き、同人が一部は信用金庫の預金を下ろし、他の一部は農協から預金を担保に借り受けて用意した現金を受領したのであつた。被告会社は、同日、別表(一)のとおり、五〇枚ずつ二口の輸入大豆の買建玉をした。一枚は二五〇俵で、約定値段は一俵当たりの金額である。被告山田及び同谷は、その後、最終の手仕舞いまで、本件委託契約に基づく訴外幾之助の取引を担当した。

次いで、被告山田は、同月一七日、訴外幾之助に、売付をするように勧めた。相場が不安定で値下りしていたので、買付分の損を売付分の利益で補うという理由であつた。訴外幾之助は、この勧めに応じ、被告会社は、同日、五〇枚の売建玉をした。同月一八日、訴外幾之助は、被告会社に委託証拠金三五〇万円を預託した。農協から預金を担保に借り受けて作つた資金であつた。

更に、被告山田及び同谷は、右と同様の趣旨で、売建玉と買建玉とを同数にして損失の発生を防止するように勧め、被告会社は、同年六月七日、訴外幾之助から委託証拠金三五〇万円の預託を受け、五〇枚の売建玉をした。訴外幾之助の生命保険の掛金を担保に借り受けて作つた資金であつた。

被告会社は、別表(一)ないし(六)に記載のとおり、同年五月一三日から同年一〇月一九日まで、多数回にわたり、建玉及び手仕舞いを繰り返したが、最終の損益勘定によると、委託証拠金合計金一四〇〇万円のうち金六一万二五〇〇円だけが訴外幾之助の手元に戻される計算となる。

5  被告山田及び同谷は、本件委託契約締結後昭和五八年六月七日に訴外幾之助が三回目の委託証拠金を預託するまでの間、同人宅を何回も訪ね、あるいは電話をかけて、毎日のように取引の状況等につき訴外幾之助に連絡をとつていた。ところが、その後は、右被告らからの連絡は、間遠になつて、取引の前後に訴外幾之助の了解を求めるだけとなり、相場の状況等の詳しい説明は省かれるようになつていつた。売買の都度被告会社から訴外幾之助に委託売付・買付報告書および計算書という標題の書面が郵送されていたが、三回目の預託以後、訴外幾之助がこの郵便を開封せず右書面に目を通さないことが目立つて多くなつていた。被告山田及び同谷は、訴外幾之助が右封書を開封していないことに全く気付かなかつた。右書面は、被告会社が顧客に対し取引の経過と損益の状況を知らせるためのものである。

ところで、別表(一)ないし(六)に記載のとおり、買付とその転売が非常に多く行われているのに対し、売付と買い戻しの回数は少ない。同年五月一七日の五〇枚の売建玉が同年六月一七日に買い戻され、同月七日の五〇枚の売建玉が同月一四日に買い戻されて、同月二一日に五〇枚二口(同年一〇月及び一一月の各限月)の売建玉があつたのちは、このうちの一〇月限月のもの一〇枚が同年八月一日に買い戻されるまで、売建玉に関する取引は全く行われなかつた。この間、輸入大豆の相場は、全体として値上げの傾向を示していた。したがつて、反対売買を終つて手仕舞をした取引につき損益計算をすると、買建玉による利益が大きく、委託手数料を差し引いてもなお利益が計上されることが多かつた。前記計算書には、このような手仕舞をした取引の損益が表示されるので、これだけによれば、おおむね利益を生じながら推移しているようにみえるのである。ところが、一方で、売建玉については、相場の値上りによる損失が増大していたのであつた。前記六月二一日の売建玉のうち一〇月限月分五〇枚の約定値段は金四〇六〇円で、同年七月二七日買建玉分(別表(三)参照)の金四四六〇円との間に一俵当たり金四〇〇円の差損を生じているが、五〇枚全部で金五〇〇万円の損失となる(五〇枚×二五〇俵×四〇〇円)。同様に一一月限月分五〇枚の約定値段金四一一〇円については、一俵当たり金三五〇円の差損があり五〇枚全部の損失は金四三七万五〇〇〇円となる。すなわち、前記六月二一日の売建玉一〇〇枚につき、同年七月下旬ころには、金九〇〇万円くらいの損失を生じていたのである。買付と転売は短い期間で繰り返されていたので利幅は比較的小さく、委託手数料を差し引かれると買建玉による利益はそれほど大きくないので、売建玉の損失は、買建玉の利益で穴埋めされないまま、次第に大きくなつていたのであつた。そして、訴外幾之助は、このような売建玉の損失増大に全く気付かなかつた。たまたま開封した計算書(同年七月四日付・甲第六号証の一のb・同年一三日付・同号証の二のb。)には利益が計上されていたし、訴外幾之助のにわか仕込みの商品取引の知識では、決済ずみの買建玉により利益が生じている裏で、未決済の売建玉による損失の増大があることに、思い至らなかつた。被告山田及び同谷は、この点に関して、訴外幾之助に何らの説明もしていなかつたのである。訴外幾之助は、後に後記の損失が発生していることを知つて、事の意外さに非常に驚いたのであつた。

6  訴外幾之助は、昭和五八年八月二九日の計算書を見て金二〇〇万円の損失が生じていることを知つた。損失は、同年九月七日までに、前記六月二一日の売建玉の一部につき買い戻しを行つたために、金九七五万円に増大していた。訴外幾之助は、被告山田及び同谷とうまく話が通じないとして、同年九月中に二回被告会社を尋ねて行つて、同人らと話し合いを持つた。同月七日の売買の後は、新たな建玉はなく、残つた四件の建玉につき手仕舞いをした同月一〇月一二日及び同月一九日まで、売買は行われなかつた。被告山田及び同谷は、同年九月二九日、訴外幾之助方を訪問し、同人に対し、同月七日に発生していた差損金九七五万円と委託証拠金一四〇〇万円を相殺勘定することを告げた。そして、訴外幾之助から金七〇〇万円一通及び金三五〇万円二通の委託証拠金預り証の返却を受け、代りに右相殺残額金四二五万円の委託証拠金預り証を交付した。訴外幾之助は、この時、右相殺勘定を納得したのではなかつたが、預り証の交替をしないと残つた証拠金も戻らないと言われてこれに応じたのであつた。訴外幾之助は、同年一〇月一八日と同月一九日に被告会社を尋ね、被告会社の担当責任者である訴外坂瀬澄人と話し合いをもつた。同月一九日の最終の手仕舞いの結果、金六一万二五〇〇円が訴外幾之助の手元に戻る計算になつたが、委託手数料合計金六三〇万円のうち金五〇〇万円を被告会社が訴外幾之助に返却することが話題になつた。しかしながら、合意に至らないまま、本件訴訟となつたのであつた。なお、同年六月初めころ、一度本件委託契約を終了させる話も持ち上つたが、その時には若干の損失がでるので、しばらく取引を続けるということになつたのであつた。

以上の事実を認定することができ、〈反証排斥略〉。

三法的主張

1  (契約不成立)

前記二に認定した事実によれば、訴外幾之助と被告会社間に昭和五八年五月一二日本件委任契約が成立したことが明らかであり、右契約が成立していないとの請求原因4(一)の主張は理由がない。

2  (公序良俗違反)

前記二に認定の事実関係によれば、本件委託契約の締結が公序良俗に違反する事実を認定するに足りないというべきである(〈反証排斥略〉)。請求原因4(二)の主張は採用し難い。

3  (錯誤)

前記二に認定した事実によれば、訴外幾之助が本件委託契約に基づく商品取引によつて絶対に損をしないと考えていたとまでは認め難いから、請求原因4(三)の主張は理由がない。

4  (詐欺)

前記二に認定した事実によれば、被告山田及び同谷が訴外幾之助に対し確実に利益が上がる旨の虚偽の事実を申し述べたとまでは認め難いから、請求原因4(四)の主張は理由がない。

5  (不法行為)

(一)  商品取引所における商品の先物取引は、少額の証拠金で差金決済により多額の取引ができる投機性の高い経済行為である。取引高が大きく値動きが激しいため、時として多額の差損金が発生する危険がある。売り買いの決定には、商品の需要供給の関係、政治・経済の動向など市場価格形成の要因に関して相当に高度な知識を必要とし、またその知識を活用する経験を必要とする。したがつて、商品取引員の外務員は、その遂行すべき業務として顧客を勧誘するに当たつては、顧客の経歴や能力を十分に見極め、商品取引を扱う力に欠けると思われる者を無理に取り引きに誘い込むことは避けるべきであるし、先物取引の委託を受けるときは、委託者の経歴、能力、先物取引の知識経験の有無、取引の数量、委託をするに至つた事情等を考慮して、委託者に損失発生の危険の有無・程度の判断を誤らせないように配慮すべき注意義務を負うものである。そして、取引の勧誘及び委託後の取引の実行について、外務員に右注意義務に違反する行為があるときは、勧誘及び一連の取引の全体が違法性を帯び、不法行為を構成するというべきである。

(二)  そこで、前記二の認定事実に基づいて、被告山田及び同谷につき不法行為の成否を判断するに、(1) 訴外幾之助は、京都府下の山間部の町で一人暮しをし農業に従事する満七〇歳の老人であり、商品取引など投機的な利殖の知識・経験は全くなかつたのであるから、このような者をそれまで関心を示したこともなかつた商品取引に誘い込んだこと自体が妥当であつたかどうか疑問なしとしないこと、(2) 訴外幾之助は、商品取引により損失を生ずる危険があることは承知していたが、被告山田の説明を聞く限りでは、この際大豆を買つておけば、仮に大きな利益が上らなくても、出資金の大半を失うような損害を受けることはないと判断したもので、被告山田は、訴外幾之助がこのような判断をしたことを知つており、又は容易に知り得たのであるから、訴外幾之助に対し、一般論でなく具体的な本件委託契約に基づく取引によつても損失を生ずる危険があることを更に念押ししておくべきであつたこと、(3) 全くの素人である訴外幾之助が取引開始後わずか一月足らずの間に委託証拠金合計金一四〇〇万円にものぼる先物取引を行うことは危険が大きすぎ、同人の積極的な意思に基づくのでない限り、相当でないこと、(4) 訴外幾之助には自らの才覚で損を覚悟で積極的に利益を図る意欲がなく、被告会社に出資をすれば悪い結果にはならないだろうとの受け身の態度で本件委託契約を結んだもので、事前又は事後に訴外幾之助の了解を得て同人の指示で売買をするといいながら、同人は売り買いを的確に判断する知識と経験を欠いていて、被告会社の思う通りに売買が行われており、いわゆる一任売買に近い取引の実態があつたのであるから、右(3)の手始めの取引としては規模が大きすぎるとの印象は、ひとしお強く感じられること、(5) 買付と売付とを同時に行ういわゆる両建てにおいては、相場の値上り傾向が続くと、買建玉に利益が出る一方で売建玉に損失を生ずるのであるが、被告山田及び同谷から訴外幾之助に対してこのことにつき十分な説明がなされていなかつたこと、そのために、本件の具体的な取引では、買建玉に利益が生じていることだけに注意が行き、売建玉に関する取引が活発になされないまま損失が増大し、そのため訴外幾之助が委託証拠金の大半を失う損害を受けたもので、被告山田及び同谷が売建玉の損失に関し訴外幾之助に説明し適切な助言をしなかつた点は同被告らに期待された責務を果たさなかつたと評価できることの諸事情を指摘することができる。

そして、右のような諸事情によれば、被告山田及び同谷は、商品取引所法及び受託契約準則の趣旨又は契約関係の基礎となる信義誠実の原則に根拠を置く前記(一)の注意義務を怠つた過失により、違法に訴外幾之助の利益を害したと認めるのが相当である。すなわち、被告会社の業務として被告山田及び同谷がなした、本件委託契約の勧誘及び締結並びにこの契約に基づく一連の先物取引は、一体として不法行為を構成する。

(三) 右の次第であつて、訴外幾之助は、被告会社に対し民法七一五条に基づき、被告山田及び同谷に対し民法七〇九条に基づき、後記損害の賠償請求権を取得した旨の請求原因4(五)の主張は理由がある。

四損害(請求原因5)

(一)  (委託証拠金)

前記二に認定のとおり、前記委託証拠金合計金一四〇〇万円の大半は、本件委託契約に基づく一連の売買によつて生じた損失及び委託手数料合計金一三三八万七五〇〇円に充当された。したがつて、訴外幾之助は、被告らの前記不法行為により右同額の損害を被つたものである。

(二)  (慰藉料)

右(一)の財産的損害の賠償によつて回復され得ない特別の損害が存在する事実は、本件全証拠によつてもこれを認定するに足りない。

(三)  (過失相殺―抗弁1)

前記二の認定事実によれば、訴外幾之助には、被告山田の勧誘に安易に応じて本件委託契約を締結し、その後も受身の態度に終始し自らの努力で損害の発生を防止しようとする意欲を欠いていた過失があり、そのために前記損害が拡大したものと認められるが、その過失割合は三割と認める。

したがつて、前記(一)の金一三三八万七五〇〇円を三割減額した金九三七万一二五〇円が過失相殺後の損害となる。

(四)  弁護士費用

本件事案の性質、内容、訴訟の経緯、認容額等の諸事情を考慮すると、金七〇万円をもつて賠償されるべき弁護士費用と認めるのが相当である。

(五)  損害合計

右(三)及び(四)の合計額は、金一〇〇七万一二五〇円である。

五和解

抗弁2の事実は、本件全証拠をもつてしてもこれを認めるに足りない。

六包括遺贈

請求原因6の事実は、当事者間に争いがない。

七結論

よつて、原告の本訴請求は、被告会社に対し民法七一五条に基づき、被告山田及び同谷に対し民法七〇九条に基づき、前記四(五)の損害合計金一〇〇七万一二五〇円及びこれに対する訴状送達日の翌日であることが記録上明らかな昭和五八年一二月二七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払(不真正連帯債務)を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから失当として棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官冨田守勝)

原告の主張〈省略〉

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